いきなり流行した経済論議を見て

なぜか,生産性と賃金の経済論議が流行しているのだけど,(平均生産性vs限界生産性議論のまとめと大雑把な解説 - 萌え理論ブログ参照)

何人かの人が(説明のわかりやすさ - fujixeの日記とか)言っているように,数式を使ったマーケットの厩-生産性と賃金のあれこれが一番分かりやすい.というか,紛れがない.何を言いたいのかがはっきりしてるし,どこまでしか言えてないのかもはっきりわかる(実際には主張の内容よりもこっちの方がはるかに重要なのだが).

この現象を説明するのに理解脳の恐怖 - REVの日記 @はてなはタイムリーだなと思った.文章を100行並べるよりも図を一つ使ったほうが理解度は上がる.でも,それって書いた人が読者に理解させたいことでしかない(最初にあげたリンク先の図とかが分かりやすい例).グラフも同様.数式もその側面がないとはいえないけど,式を説明する段階で何を前提にしているのかとか,変形する段階で何を省略したのかとかを明らかにする必要があるので,はるかに安全だし,明確だ.数式から数式の要素同士の関係性への理解は式をどう書こうがどう説明しようが中立性が担保される.

というか,(今回の論争のすれ違いはもうちょっと違う層で起きているのでたぶん微妙に当てはまらないんだけど)言葉でする論争ってえてして理論的な枠組みとその理論内でのパラメータの取り方を分離できない気がする.言葉の論理って数式の論理よりも普通不自由だから,パラメータの取り方で同じ枠組みでも言葉を変えなければいけない.たとえば,y = a(x-b)^2 + cという関係にあるときに,言葉では「最初はyはxに比例したように変化するけど,xが大きくなるに従ってどんどんyの伸びが小さくなって最後は小さくなる」と説明してみたり,「xが増えるに従ってどんどんyの伸びが大きくなる」と説明してみたりするが,この二つの説明は適当なa,b,cのパラメータを仮定している上に,片方だけを聞くと片方は間違っているように聞こえる.数式と仮定したパラメータが頭の中にあれば困らないんだけど,そうじゃないと理論の枠組みを議論してるつもりで,パラメータの取り方をテクニカルに議論するはめになったりする.

大抵の理論でパラメータと枠組みを分離するのは,パラメータは状況によって違うので(科学の上での)議論にならないから.しかし,数式を出されると安心するってのはそれはそれで数式脳なのかなあと言う感じがしないでもない.関係がわからなくても,ひとまずy=f(x)と置くと安心するみたいな.こう仮定した時点で大量に願望が含まれているのを忘れてしまうとだいぶ危険.