何でおまえらそんなに棒グラフが好きですか

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2007-10-22 - 定義すれば存在する棒グラフと折れ線グラフ、どちらに、より好感を持ちますか?… - 人力検索はてな

この手の騒動が依然として続くのがあまり理解できない.単に棒グラフを折れ線グラフにでも代えれば,(形式的には)文句をつける正当性がなくなるから脊髄反射的にTBSを叩きたいだけの人以外は批判をやめる.脊髄反射的な人たちは批判を続けるだろうけど,逆に,批判をやめた人から棒グラフと折れ線グラフの違いを理解しろ的な批判が回ってくることになる.

こういうどうでも良い批判をグラフを折れ線にするだけでかわせるのに何でそんなに棒グラフにこだわるんだろ.と検索してたら,指定されたページがみつかりませんでした - goo ブログのApricotさんの自由さにうけた.項目数の少ない折れ線グラフは見栄えが悪いらしい.項目数が少ない時の理系の常套手段は表なんだけど(棒グラフに出来ない類の値が理系には多すぎるが,見栄えの悪いグラフも許容できないので),ビジネスでは棒グラフになるらしい.

見栄えが極端に悪いグラフってのは情報が少ないって事だと思うから,折れ線グラフで見栄えが悪いものが棒グラフにするとマシに見えると言うのは,始点と言う情報を勝手に加えているからなのだろう.その意味では,始点いじり棒グラフを捏造と言うのは若干ありな表現のような気がしてきた.

ただ,基本的なスタンスはあんまり変わらない.印象操作が(十羽ひとからげに批判することが不可能なというか有害な)縦軸改変折れ線グラフでも容易に可能な以上,捏造捏造と縦軸改変棒グラフを批判しても,グラフによる印象操作を止めることにはつながらない.グラフを何か真実を映し出す魔法の鏡か何かのように思うのはいい加減勘弁して欲しい.グラフは文章と同様に事実の一側面を見やすく切り取るだけだ.どう切り取っても違う側面は抜け落ちる.

しかし,正しいグラフは目的によって変わると言うことを分かりやすく説明しようと思うと折れ線グラフないしは散布図で表わすことが妥当な物理量しか例が浮かばないので,もうどうでもいいやという感じになる.結局棒グラフで表わさなくてはいけない量ってなんだ?