医師養成課程での生命倫理教育ってどうなってんだろ

自然死とされる作為的積極的尊厳死の実態 - What’s ALS for me ?を読んだ.最初に,読んだ時は全く意味がとれてなくて,おいおいという気持ちでこのエントリを書いたんだけど,いろいろ調べた結果,気管切開した場合にQOLはどこまで下がるかという技術的な問題でしかないことがわかったので,どうしようかなと迷ったんだけど,ちょっと文章を変えてあげとく.

このまえ,臓器移植絡み - smectic_gの日記を書いて,まあ叩かれたわけだけど,なんでああいうことを書いたのかというと,自分としては予後が悪いのに,高度医療で生かされたいとは思わないということ以外にもう一つあって,実家帰って友人の新米医師に,陰鬱な終末医療の話を散々聞かされるからというのもある.

たとえば,この前聞いた話だと,老健施設で床ずれがひどくなって搬送されたおばあちゃん.床ずれがあまりにもひどすぎて,尻の辺りの肉をほとんど全部とっちゃうしかなかったので,体の前と後ろがほとんどくっつきそうになってる.で,当たり前のようにぼけてるので,えーとかあーとかしか言えない.毎朝床ずれの悪化を防ぐために,そのおばあちゃんの体を拭くんだけど,そんな状態だからすごいあーあー言って痛がると.

で,自分はまあああいう文章を書く人間だから「なんで,生かしてんの?家族はどうしたいの?」と聞くと,「何とかして下さい」と懇願するだけらしい.本気で思ってるのか,現状認識から逃げているのかしらないが,医者は魔法使いで床ずれで失った部分を埋めた上に,混濁した意識も正常な状態に戻して復活させてくれるとでも思ってるらしい.もしくは,どんな状態であれ生きていることは尊いと思ってるのかもしれない.だって,床ずれをひどくするような,ひどい施設に突っ込んだ上で,そういうことを言うんだからね.どう生きていても生きてることは尊いから,どんな状態でも生きてれば幸せとでも思ってるんだろうか.

ともかく,そういう誰も幸せにならない(としか自分には思えないし,友人も自分なら絶対にああはなりたくないとはっきり言う)症例を延々と続けているせいで,友人は結構医者を選んだ道を後悔しかけている.業務としては,患者本人の意思表示が出来ない以上,家族の要請に従って生かすしかない.これに対して,生命倫理的な発想によって,きちんと意味付けをおこなうことが出来るのなら,医師になるような人にはきちんと洗脳してあげればいいのにと思う.逆にそうしないと,壊れるか,自分基準で消極的尊厳死を勝手に遂行する人になりかねない.そういう危うさを友人からは感じる.