人工光合成という筋の悪い発想

エラー|NHK NEWS WEBという記事を見た.クラークの法則によれば高名な老科学者が出来るといったことは出来るらしいので,こんな実績のない若造が何を書いても仕方ないのだろうが,やっぱ人工光合成の筋の悪さは明々白々なので,なんか書かないと気が済まない.

なぜ,人工光合成の筋が悪いのか?それは一言で言うと,化学反応を相手にする限り太陽光のエネルギーはかなりオーバーキルで使いづらいから.ということを,少し長めに説明する.

光化学の基本的な限界

光化学は光子という単位にどうしようもなく縛られている.

アインシュタインが発見したように,光というのは,波長(可視光で言うと色)によって決まるエネルギーを持つ光子という単位に量子化されている.そして,マジックを使わない限りひとつの光子からはひとつの反応しか起こせないし,二つの光子からひとつの反応を起こすことも(普通の太陽光程度の光の強度では)難しい.お釣りが来ない外国の自販機みたいなものだ.

ここで,太陽光がどれくらいのエネルギーを持っているかというと,AM1.5で適当にググれば出てくるのだけど(たとえばOur Apologies (404 error: page not found) | UMI2958 | Georgia Institute of Technology | Atlanta, GA),だいたい1.8eV程度をピークに0.5-3eVくらいに拡がっている.波長で言うと,300nm-2μmくらい.これだとわかりづらいので,ボルツマン定数で割って温度に換算してみると5500℃-34000℃くらいの温度に相当する.

つまり,太陽光のひとつの光子はこのくらいの温度でしか起きないような反応を起こせるだけのエネルギーを持っている.一方で,普通の有機化学反応はせいぜいが300℃くらいしか必要じゃない.エネルギーの高い光子を使えば,自分よりもエネルギーの低い反応を引き起こすことは出来るのだけど,エネルギーの差は無駄になる.つまり,こういう普通の化学反応を起こそうとするとかなりのエネルギーが無駄に失われてしまうことになる.だから,光化学反応ではこれを打開するために水から水素の直接生成(1.2V)とかの,かなり高いエネルギーを必要とする反応を起こすことになる.ただ,この反応でも決まったエネルギー(1.2eV)以上の2eVとか3eVとかのエネルギーの光は無駄になることになる.そして,その決まったエネルギー以下の光は使えないから,無駄に捨てることになる.

これがエネルギー的にどういうことなのかだけど,1.2V程度までの光を吸収する太陽電池ってのはちょうど結晶Siだ.結晶Siの内部量子収率,つまり電流は入った光子の量に対してほとんど100%までいってる.出力する電圧もバンドギャップ1.1Vに対して0.75V程度までなら実験室レベルなら出来てる.これだけ見ると効率は0.75V/1.1V = 68%くらいいけそうだが,全くいけなくて理論的に28%,実験室的に25%程度しか行かない.

倍くらい単純計算と実際に開きがあるけど,この差の原因は

  • 決まったエネルギーよりも高いエネルギーを持つ光子を,その決まったエネルギーで使っているということ(電圧的ロス)
  • 決まったエネルギー以下のエネルギーの光子をエネルギーに変えられないこと(電流的ロス)

に起因する.

植物の光合成

では,十数億年の進化の果てに,恐ろしく洗練されている植物の光合成の現状を見てみようと思う.(といっても,生化学は素人以下だけど)

植物の光合成のメカニズム的なポイントはwikipedia:光合成の光化学反応にあるZ機構の図を見るとわかるように,かなり多段の機構になっていることだ.なんで,多段の機構にするかというと量子収率をあげるためだ.太陽電池を含めた光化学反応で一番避けたいことはせっかく光を受けてできた電子と正孔が,そのまま引かれあうようにくっつくことだ.この反応は最近流行りのLEDと同じ反応だから結構簡単に起きる.結晶Siとかは間接遷移だからそこまで簡単ではないけど,大抵が直接遷移の有機物では特に簡単に起きる.

これを避けるには,出来た電子と正孔を可及的速やかに物理的に引き離せばいい.そのための励起移動である.励起移動をさせれば,電子を移動させて電子と正孔を引き離し,出会う確率を減らすことが出来る.しかし,励起移動はタダではない.励起移動で量子収率は上げることができるけど,エネルギーはかなりロスすることになる.植物の光合成の場合,具体的には34%程度のエネルギーしか最終的には使えないらしい(近畿大彦坂先生のMechanismというページ参照)これは,結晶Si太陽電池で言うと68%に相当する類の数字だ*1.これから,実際の太陽光を当てたときの効率は結晶Siと同様にもっとずっと落ちることになる.

つまり,植物の光合成は量子収率は高いがエネルギー収支という意味では今ある普通の太陽電池と比べて特にアドバンテージはないというか,むしろ劣っているということになる.

植物がなぜ,この低エネルギー効率に甘んじているのか?たぶん,水の分解よりもエネルギーの高い光子を必要とするメリットのある反応が,植物の周りにふんだんにある材料では起こせないからだと思う.そして,その前提の元では量子収率を限界まで高めるのがベストだ.そして,人類はというと水と二酸化炭素から燃料を作ろうとする限り,同じ限界にぶつかることになる.

だから,人工光合成をするよといっている人は,この植物の光合成よりも遥かに優れた反応を人類が工業レベルですることが出来ると言っていることになる.尊敬すべき傲慢さだ.

光科学の限界を超えるには?

まあ,1光子をひとつの反応にしか使えないという限界は,太陽電池でもかなり厳しい制約だ.このために単接合太陽電池の効率は30%程度が限界だ.超えるためには何かマジックをする必要がある.

マジックとしては

  • 複数の反応を組み合わせて(タンデム),それぞれは最も効率の良い光しか使わないことで効率を上げるということ.現在,30%を超えるような太陽電池は全部この発想で作られている.人工光合成に応用するには,2eV-3eVに相当するいい反応があればいいねってことと,タンデム化を前提にした人工光合成の研究ってかなり未開だよねって辺りが課題.
  • ひとつの光子から複数の反応を引き起こす.普通には無理なんだけど,中間状態を利用したり,太陽電池だと量子ドットを利用したりすると,ひとつの大きいエネルギーの光子を複数の反応に使えるように分割できるらしい.が,「らしい」と書いたようにある種のタイプは本当に起こっているのかまだ議論中だし,別のタイプは起きてもエネルギーのロスが大きすぎるとか,起きる効率が低すぎるとか,まだ使える段階じゃない.
  • 熱にしてしまう.これは太陽熱発電の発想.一度熱にしてしまえば光子のエネルギーがどうこうとか言う光化学の限界ではなく,熱力学の限界に縛られることになる.やりたいことによってはこっちの方が上手くエネルギーを使えるかも知れない.

とかがある.

てなわけで,ここら辺の限界をぶちやぶるような発想のない人工光合成研究を今さら始めようとしてるなら,化学屋さんって本当にすることがないんですねと笑ってしまうし,もし,大型のグラントをつけるようなら,つけた人間の見識を疑う.

まあ,こういう若造が土下座して謝るようなプロポーザルを根岸大先生が文部科学省の官僚にしてることを祈る.多分してないと思うけど.

2012-06-28追記

パラパラとレビューを読んでたら、水の分解に必要なエネルギーは1.229eVらしい。太陽電池の相場観だと必要なバンドギャップはVocの0.4V増だから*2、単純計算でEg=1.63eV。太陽光とのマッチングという意味では、ちょっと広すぎる程度でそこまで筋は悪くない。

その意味で、今の植物の光合成が絶望的にエネルギー効率悪く見えるのは、水を分解した後の後段の反応に貴重な高エネルギーのフォトンを消費するということに由来しているだけかもしれない。つまり、水の分解のみを取り出せばそこまで悪くない可能性はある。つっても、水を分解するだけだと水素ができちゃってその後の処理に困るというのは、生物も我々もあまり事情は変わらないので、なにか工夫は必要なんだろうけど。

あと、太陽電池は人工光合成と違って、太陽光とのマッチングに対して最適値をとれるし*3、更にタンデムなどで高効率を狙える。その太陽電池で作った電力で水を電気分解するプロセスに対して、メリットを訴求できるのか?という問題は残る。

*1:電気と,化学反応後の物質のエネルギー収支を比較するのは植物にかなり不利ってのは理解してるけど,分かりやすさ重視

*2:この相場観が人工光合成だと絶望的に間違ってる可能性はある

*3:水の分解に必要な1.229Vと太陽光のマッチングはそこまで悪くないとはいえ