英語ねえ

どうも,直接言及すると元の本を読まないでうんぬんと非難されるらしいのでリンクなし.というか,2000円の本をそんなさくさく買わないだろ普通.

日本(と言うか,アジア全般)にいると外国語と言えば英語という意識が強すぎて,他の選択肢が思いもよらないのだけど,ここイタリアではうっかりすると英語を全く学習しなくても高校卒業できるらしい.(かわりにフランス語とかドイツ語を学ぶことになる)

大学以降の高等教育どうやってやるんだろうと思うけど,たぶん大学院になるまでは英語の教科書を使わなくてもいいのだろう.ここら辺は日本でも同じだし,たぶん日本ほどには大学院がカジュアル化していないから英語なくても何とかなるのだろう.

それにしてもと日本人としては思うけど,こういうヨーロッパの英語に対する姿勢(世界語と言う認識じゃなくて,北西にある島国の言葉でしょと言う感覚が根底にあるんだと思う)ってのはもうちょっと学んでもいいと思う.たとえば,中国語は英語と同じくらいの人数を抱えているわけだし,アジアを本気で経済統合する意志があるなら,高校で英語の代わりに中国語を学ぶような姿勢ってのはありなんだと思う.まあ,あり得ないけど.

結局,英語が今世界語っぽくなってるのは言うまでもなくアメリカが唯一の超大国だからで,一昔前までは英語と同じくらいロシア語が世界語だったわけだ.もし,インターネットへの情報集積が巨大な重力を持っているとしても,このまま,英語が自分の情報の重力だけで世界語の地位を保てるかと言えば,現状のテクノロジーがそのまま100年後も続いた時だけだよねとせせら笑ってしまう.もちろん,コミュニケーション用語としての英語(たとえば,すでに学術論文の中の英語は英語とは違う何かになっている気がしてならない)が固定化された言語として生き残る可能性はすごい高いと思うけど,それなら,日本語大丈夫なのとか心配する必要ないし.

追記

梅田望夫「紹介・水村美苗『日本語が亡びるとき』」の補足説明を試みる。を読んでみたけど,やっぱわかんね.

普遍語と国語の差がねえ.高等教育を英語でしなくちゃいけないってのはたぶん何種類かあって,その言語の教科書が市場にないだけってのと,その言語でほんとに科学技術的な概念を表わせない場合ってのがあって.後者のレベルの言語ってのはまだ意外とあるけど,日本語は昔の人のご尽力で流石に後者の段階は抜けた.なので,こと科学技術的な内容に関して日本語で語彙が不足することはあっても,概念が不足することはない.

結局,普遍語と言うのがその言語が表わせる概念の広さが十分であるという意味ならば,日本語の意味の集合が英語の意味の集合より狭くなるということは,もう一回20世紀なみの進歩が来ない限りたぶんない.でも,そんな進歩がもう一回来たら普遍語が一つに集まるかどうかなんて軽々しく言えない.