ガンダム00劇場版

「劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-」という長ったらしい名前が正式な名称らしいんですが、どうでもいいや。

とりあえず、昨日丸の内で観てきました。いろいろひどい。

以下ネタバレありまくりで、むかついた点をいくつか。

トップをねらえからのガジェットの引用が多すぎる

  • 木星から出てくる惑星サイズの巨大宇宙船ってアイデアがまるでバスターマシン3号。
  • その中の構造と、するすると中心に行って何かするという描写がまるでバスターマシン3号
  • 最後、ウラシマ効果で、主人公がものすごく遅れて地球に帰ってくる描写。

でも、ぜんぜん熱さがないからこれらの要素が完全に消化不良。

イノベイターと残りの人類との対立ってのはまったく描かれず

純粋種のイノベイターデカルト大尉って何のために出てきたんでしょうね?ってのはおいておいて、イノベイターの出す脳量子波が、ELS(金属生命体)を引き寄せているってのがわかってシェルターにイノベイターの予備軍を全員保護と称して隔離するわけだけど、これ、実際の社会に当てはめてみると二つの意味でかなり危険な行為だってのがわかるはず。

ひとつは、ある種の属性を持つ市民を強制的に別の場所で保護するという政策はかなり政治的にアウトになりやすいということで、たとえば、アメリカでムスリムは暴動や略奪の被害にあいやすいから施設で保護しますとかいう例に置き換えるとわかりやすい。前段のことがもし事実だとしても、強制的に実施するのは確実に政治的にアウトだ。

次に、いわなければわからない属性をその政策を行うことでばらしてしまう可能性。今回なら誰が脳量子波が強くて、イノベイターの予備軍であるかなんて絶対にわからないのに、こういう政策を実施してしまうと、たとえば学校で休んでいる人を見れば一発でばれてしまう。徐々にイノベイターのお披露目をしていくと政府が考えているのであれば(イノベイター予備軍の資料が極秘であることを考えればかなり自然な推察)かなり軽率な行動だ。

正直、政府が何をしているのかばれれば、あのシェルターに火炎瓶のひとつでも投げる人が出てきても驚かない。だって、あの連中が脳量子波を出さなければ地上の事件事故は起きなかったと描写されているわけだし、地下鉄や交通事故で死んだ人は間接的にイノベイター予備軍に殺されたと思っても無理はない。

そういう対立が起こりそうな火種をすべてヴェーダが摘み取っているというのが、作中の描写となるが、これが次の不満点を生む。

ヴェーダに管理された社会でいいのか?というか、民主主義はどこへ?

結局、あの世界でソレスタルビーイングが活動できたり、上のように極端な政策でも自由気ままにできるのはヴェーダが報道やひいては言論を統制しているからだったりする。

平和のためなら何でも許されるという世界観だというのは理解できるけど、それでも、平和のために言論統制も辞さずというのでは中国と何が違うのか。

また、世界の終わりの決断なのに民衆は被害におののくばかりで、民衆がどう考えどう選択するかという描写がない。すべての世界の存続にかかわる決断はお上が勝手にヴェーダと相談して決めるというすごい世界。自分の世界の行く末くらい投票させてくれよ。ほんと。それで何か正しい選択ができるできないの問題ではなく、民衆の覚悟の問題、責任の共有の問題として。それが民主主義でしょ。

民主主義は統治体制として無能だ、管理コンピューター万歳と叫ぶのは勝手だが、あまりにも浅すぎやしないか?

政治思想の深さとしてはガンダム00よりも、自由のためなら苦しみも悲しみも受け入れると叫んだフレッシュプリキュアのほうがずっと深いってのはどうなんだろう。

結局、最後まで自己満足集団だったソレスタルビーイング

最終決戦がソレビーのラストミッションだというのなら、事前に作戦の概要をスメラギさんがマネキン准将に伝えてしまえても何の問題もない。そうすれば、無駄な犠牲はかなり防げたし、粒子砲や大量の戦力を使って危なげなく敵中心部までの突破口を開けたはずだ。戦力比1万という絶望的な状況で戦わざるを得なかったのは、ほかにとりうる手段がなかったからだから、どんな奇策でもそれなりには検討してもらえただろうし、それをしても超展開にならないだけの胆力がマネキンにはある設定だろ。たぶん。

目の前の人類に対してのコミュニケーションを放棄しているような集団が異星人とコミュニケーションだなんてチャンチャラおかしい。