大学統廃合

はてなブックマーク - 国立大学の統廃合私案 - Chikirinの日記

子供の数が半分なんだから,大学の数は半分だろというのは今の大学の運営が変わらない限り仕方ない.が,これを具体的に大学名をあげていうと恐ろしく叩かれる.だから,今の文科省がやっているように真綿で首を絞めるように全部の大学を締め付けて,体力のないところからつぶしていく無様なことになる.一部の大学の人間はこれ以上どうやって予算回すんだろうかみたいな予算をもらってるくせに,意訳するとあんな糞大学はつぶしてこっちに予算をよこせみたいのことを結構本気で思ってたりする.

で,何で子供の数が半分になると大学の数を半分にせざるを得ないのかってのは(自分が見てる範囲の大学院の話*1を前提にすると)

  • 基本的に日本人しか学生として考えていない
  • 学部に入った学生の量と質で,大学ができることが決まってしまう.

という二点が大きい.

前者はわかりやすい.後者は,今の大学教育を考えるとどうも単位という概念が形骸化しすぎているので,結局入った時点でどういう人が入るのかで研究室にいたるまでどんな質の学生が入るのかが決まってしまうという話.今の大学の研究室ってお金を払って博士学生やポスドクを雇い入れて研究をするという形になっていなくて,学生の質で研究の質も決まってしまうところが大きいから,そこらへんすごい勢いで悪循環になる*2

それと,研究機能と教育機能は別で地方大学には教育機能をという話,理系での教育は現在研究室でしか行われていないくて,逆に学部での教育はそのためへの準備期間であるという意識がだいぶ強いことを考えると,どういう分野を念頭においているんでしょうねという気になる.そもそも,教官を集めようにも研究ができないのに来る人はいない.で,その研究機能の維持には現状の教育を前提としている限り,学生の数に比例した研究拠点の数しか日本には維持できないのだから,大学の数を減らすしかない.

単位というものの神聖さが薄れているのが致命的なのかなという気もするが,かといってどういう方策がいいのかぱっと見わからない.ある学部を卒業した人に当然備わっているべき知識や技能のセットという概念に共通認識がない上にたぶん誰も必要としていない.単位というのが卒業に必要な何かであって,その人が身につけた何かを表現していないという状況が当たり前になりすぎて,どうやってジンバブエドルのインフレを止めるんだろうという話に近い.

*1:有機電子材料

*2:個人的には,東大とかの学生が頭がいい上に働きすぎなんだと思う.あんなに頭がよくて働く学生が無料で雇えるところとどうやって戦うんだか.やつらのダンピングを辞めさせればだいぶ状況はましになるのかもしれない