常識を理由に怒る人がわかりません

でも,日本ですし.

メールの常識が分かりません・・・ - S.Y.’s Blog

を読んで思った.

自分も今は会社人間なので冒頭に「○○様」.最後に,宛先のスコープに応じたシグネチャーをつけるという習慣に毒されている.ただ,昔(1990年代前半)はこういうのをつけるのはあまり絶対視されていなくて,むしろ,堅苦しすぎて冗長という印象を与えていたことを覚えている.でも,いつの間にやら市民権というか,つけないのは常識がないみたいなことになってしまってちょっと驚いている.

つまり,携帯の普及で宛先を付けない文化が出てきたとか怒るのは勝手だけど,初期のインターネットには,本文に宛先を付けるような文化は冗長と言われてあまり好まれていなかった.本文の冒頭に宛先を書く習慣は,ヘッダー,何それ食べれるの的なリテラシーの低い人が,紙の文書の習慣をそのまま持ち込んできたものという印象が強い.

ただ,今検索してもその当時の雰囲気を伝える文章はあんまりなくて(fjあたりでは結構真面目に冗長なんだからいらないという議論が口角泡を飛ばして行われていた印象が有るのに…),あったのはこれくらい.

電子メールを使う上で知っておいたほうがいいネチケット

とりあえず,冒頭に宛先を書く行為はマナーとして独立の項を得るには至ってない.むしろ,「>○○さん」みたいな今だとかなりフランクに見える表現が推奨されている.

こんなわけで,常識は移ろいゆくものなので,相手は常識が通じないとかで怒る人間はつまらないと思うことにしている.

追記

あと,この件で怒ることに戸惑いを感じる理由はもう一つあって,メールの本文で自分を名乗りたくなる気持ちはわかるけど,名乗られたところで,それは何らかの新しい情報を「信用性」をもって提供しているのか?ということ.

本来ならば電子署名で自分が書いた文章であることを証明すべきところを,面倒くさがってメールの本文と末尾の署名で誤魔化しているわけで,そういう風習をある程度技術をわかってる人に偉そうに押し付ける勇気は自分にはない.というか,ある程度技術がわかってる人に,何の意味があるんですかと本気で問われたら,結局のところ自己満足ですと吐露する以上のことを思いつかない.

宛先についても同様の議論が出来て,宛先を書かないと送り先を間違った時に困るって,他人に読まれた時点で終了.本来は宛先の公開鍵で暗号化すべきところを,送られた人の善意を信じて本文という人間にしか役に立たないところに書くという妥協策.

「ビジネスでは常識」みたいなお題目を唱えてしまうと,本来なら電子署名や暗号化といった技術的な対策をすべきところで,全く本質的な解決にならないマナー的な対策を人に強要しているってことになって,つまりは,自分には技術的リテラシーがありませんと宣言しているような気がしてしまう.